この度は、放送大学関西さんの力をお借りし
1回目の大学時、一度も走ることが無かった
関西学生駅伝1区を出走致しました。
10月下旬から徐々に調子が復調し、1週間前の5000mも少し PBを更新し、そのままの流れである程度は戦える(順位相場は奇跡が起こって17位あたり)と思ってましたが、やはり上手く動きが噛み合わず下から2番目区間21位の走りをしてしまいました。
最後の200mで1回目の大学の先輩でもあった藤本さんの檄(罵倒)が聞こえ、せめて前2人は抜いて襷を渡したかったが、追い抜けず
最後、どつかれて襷を繋ぎました。意識はもうろうとしていましたが、藤本さんからの"ありがとう、おつかれ"という言葉を最後に地面に横たわりました。まさか大学卒業(1回目)して5年後
丹後駅伝1区を走り、1回目の大学の先輩に襷を繋げるとは夢にも思いませんでした。
不甲斐ない走りでしたが、夢のような時間を過ごすことができました。
自分が1回目の大学陸上部に在籍していたのは2014〜2017の6月まで、当時、実力はもちろん監督、チームメイトの信頼を勝ち取ることができず全日本大学駅伝、関西学生駅伝を走ることも付き添いとして帯同することもできないまま自主退部しました。
当時"陸上をやり続けた意味なんて無かったのでは?"と退部した後観戦しに行った関西学生駅伝後に同期が集まっているのを見て感じていました。そこに自分が行くことはできませんでした。
そこから、また走る時間が取れるようになり1年足らずで1000m〜10000mまでの学生時代の自己ベストを更新するも"あぁあの時の自分が弱かっただけなんだ"と気づくようになっていき、その時、自分が社会人になっても走り続けるのは"あの時の自分を越えたかった"という思いが、自分の仕事と陸上競技においての力の根幹であることがわかりました。が、
放送大学に入ってから、周りの先輩の仕事、生活、陸上(文武労働)をこなす姿や、陸上競技者(趣味だが)としてよりも社会人としての振る舞い方、考え方を身近で見ている内に、
人との向き合い方、問題解決の進め方等
全てにおいて自分は周りよりも足りておらず
未熟だったのは自分自身であったということに改めて気づきました。
1回目の大学卒業してから5年後、自分自身人生の補習授業のつもりで"インカレ〜丹後駅伝"まで過ごしましたが、"自分は周りよりも5年、人としての成長が遅れているから、これから退部した2017年を取り返した後、周りよりも5年分成長しなければいけない"
そう感じさせてくれた関西学生駅伝1区でした。
"陸上をやり続けて良かった"
2020年からあらゆる所へ遠征、合宿、練習会に参加し様々な人に出会ったのは未熟ながらも
続けた陸上競技のおかげだと思ってます。
この出会いやそこで身につけたモノは決して無駄にはしません。
最後の"自分にとってのAGAIN2017"
2023.3/12"全日本学生ハーフマラソン"に向けてもう一踏ん張り頑張りたいと思います。
それ以降は、周りと差がついた5年を取り戻すために、
あとは攻めるだけ
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