こんばんは。ムシキングカードゲーム大会1回戦反則負けの実績を持つ2回生篠原です。
この度は放送大学関西陸上競技部が
第100回東京箱根間往復駅伝予選会のエントリーを無事通過したことを大変嬉しく思います。
スタートリスト発表時による放送大学関西への反響は予想以上のものとなり、沢山の方々から多くの激励のお言葉や応援メッセージ等を頂き
勉強+労働+陸上(文武労働)による日々の疲労
(特に9月下旬が酷かった)が吹き飛びました。
本当にありがとうございました。
この9月は自分にとって大変濃く長い月日でした。9/2〜3 に青春18切符にてほぼ日帰りの白樺湖合宿を実施したり、
新1回生の10000m予選会標準記録突破チャレンジのお手伝い(チャレンジは失敗)をしたり気を抜けない日々が続き、その疲れがきたのか9月下旬は仕事と練習時以外は、ぐったりしておりました。
労働や家庭事情で出れなくなるメンバーがいるかもしれないし、正直予選会出場は無理なのでは無いか?
そう頭をよぎってやる気を無くしたりもしました。
ただ、自分と違って子育てをしながら諸々部活の仕事を頑張っている先輩方を見て、自分も最後の最後までメンバーを信じて練習するしかないと思いました。
実はこの時、6年前のとある出来事が
フラッシュバックしました。
そう1回目の大学時、4回生の時にチームメイトを信じられなくなり陸上部を辞めた瞬間です。
自分の人生で1番のどん底を味わった時期でした。同期から"お前のこと悪く思って無い奴もおる。戻って来い"とLINEがあったにも関わらず、会計の仕事も放棄し、そこから暫く陸上競技から離れました。
11月先輩の車でチームメイト(仲の良かった)が丹後駅伝を走る姿を見に行き、"あぁ結局大学陸上では何もできなかった"
大学4年間走り続けた意味とは何だったのか
その後、1枚目の写真の著者である
1回目の大学陸上部監督が卒業前1月に亡くなりました。
1980年代都大路(高校全国駅伝)にて史上初の3連覇を成し遂げた知る人ぞ知る名将です。
正直自分に対しては、あまり興味が無かったと
思ってますが、
2回生になってよく喋りかけて下さるようになり(大半は怒られた)
強くなる為に必要なことをよくおっしゃってくださりました。
その中でも僕が1番覚えているのは、
2回生の強化合宿の最後、部員による多数決で強化組(+で3泊して走り込む)を決める際
27人中17票でギリギリ強化組10人に滑り込むことができ(当時2回生で残ったのは自分だけ)
残ったのは良いものの実力からして僕が強化組に入るのはおかしいと反対意見も多く、反発をもらいました。
その時、鶴谷監督から"お前に反対票入れた奴を見返す事より、お前に合宿残って欲しいと
賛成票入れた人達の為にお前は頑張りなさい"
この言葉は、社会人になった今でも時々思い出し、自分を奮い立たせる力となり、そして
去年放送大学陸上部に入り、陸上部を辞めた
2017年をもう1回やり直したいという原動力にもなりました。
その後、仕事をしながら関西インカレ2部5000m10位、大阪選手権5000m出場。
1500m5000mハーフマラソンにて生涯ベストを更新。
そして第100回箱根駅伝予選会に挑戦します。
実は半年前"全日本学生ハーフマラソン"も走っており、それのリベンジも兼ねております。
人生で挫折した回数ぐらいしか他の大学生に張り合えるものがありませんが、
日本一の鉄道運転士になる為に
またあの時、自分に票を入れてくれた人達に報いれるように
史上最強の自分で挑みたいと思います。
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