皆さんの応援、サポートのおかげで無事丹後駅伝が終わりました。
ありがとうございました。
1区から8区、付き添い3人の順番で今回の丹後駅伝の振り返りを書いていきたいと思います。
振り返るのってニガテなんですよね。。。
無難に時系列で遡っていきたいと思います。
目次は以下の通りです。
[目次]
1.駅伝6日前 日体大記録会5000m
2.駅伝4日-1日前 1ヶ月早まった出張
3.駅伝前日 移動日
4.駅伝当日 起床 朝食
5.バス移動(宿舎→スタート地点)
6.ウォーミングアップ、招集
7.1区9.0km
8.クールダウン
9.バス移動(第1中継所→天橋立)
10.車ピックアップ(天橋立→峰山)
11.車移動(峰山→天橋立)
12.ミーティング
13.今後の目標
1.駅伝6日前 日体大記録会5000m
衝撃の告白をします。
部員には走り終わった後のミーティングで言いましたが、「今回の丹後駅伝よりも日体大記録会5000mに力を入れていました。」
理由は駅伝で好記録?を出したとしても区間順位は区間配置や出場メンバーによって変わるし、区間記録は当日の天候や襷を貰った時の状況、コースによって異なり記録の評価がしにくいからです。
一方、日体大記録会は順位のつかないレースですが記録の評価は容易です。
前のブログにも書きましたが去年、今年と練習時間を確保できるようになり関西インカレで社会人ベスト更新、14分台まであと少しのところまで状態が上がってました。
自分にとって社会人になってから5000m14分台は大きな目標になってました。
理想は日体大記録会5000mで14分台、駅伝でも好走かもしれませんが5000m1本に集中!って気持ちで挑みました。
日体大記録会で会った知人にも「今日は14分台目指す!それが出来ればOK!次の土曜日の駅伝?そこは気にせんでええねん。部員には秘密やで!」っていう謎の宣言をしてました。
この記録会、3000mは9分ジャスト、4000mは12分02秒で通過して、かなり焦りながら最後は気持ちでネジ込み14分59秒71で目標達成しました。
だいたいレースが終わった時は次の目標はこれ!って直近レースの目標を思い付くのですが、やはり直ぐに思い付いた目標は「丹後駅伝好走」ではなく「自己ベスト(14分46秒55)更新」でした。
2.駅伝4日-1日前 1ヶ月早まった出張
丹後駅伝を重視しなくなった他の要因として1ヶ月早まった出張がありました。
駅伝1週間前の期間は慣れた環境ではなく、出張先である福岡県苅田町で最終調整してました。
普段ならレースの4日前か3日前に強めの練習をするのですが、そのような練習が出来る場所を探すのが面倒になりホテル周辺で毎日40-60分程度ジョグをしただけでした。
この時点で駅伝は思うように身体が動かないだろうな~っていう感覚はあったような気がしました。
3.駅伝前日 移動日
仕事は駅伝2日前に終わっていたので前日は移動するだけでした。
他のメンバーの話を聞くと自分はマシな方やと思いました。
苅田-小倉-大阪-豊岡とスーツケース半分に出張の荷物、半分は駅伝の荷物を入れていたので家には帰らず部員5人で豊岡、丹後に向かいました。
運転してくれた純司ありがとう!
阪神高速環状線の工事の影響で大変やったな。
緊急事態宣言中じゃなくて、この時期に大規模な工事を交通量の多い道でやるとか、どーかしてるぜ!!
駒井も前日受付ありがとう!
熱中対策水500ml24本と塩タブレット80袋を渡されるのは予想外やったな。。。
大阪市立大学さんと大阪府立大学さんには大変お世話になりました。
ホテルのチェックイン時にウェルカムサービスっていうのがあって、お茶とかカップ麺とかから一つ選択出来るのですが迷わず「キ○ン 一番○り」を選択しました。
他の大学生はカル○スとか選択してたそうです。可愛い。
なお、前日は22時前に寝たと思います。
4.駅伝当日 起床 朝食
スタート7:45から逆算するとウォーミングアップ開始が6:30、朝食3:30にしようと思い3:30に起床。
今日は丹後駅伝走るって夢の続きなのか?みたいな寝ぼけながらおにぎりを食べインスタントの味噌汁を作ってると熱湯を少し右太ももにこぼし火傷してしまいました。(この事は部員や関係者には秘密です!)
直ぐに冷蔵庫で冷やしてた水を足に当てて処置しました。
3:30起床はやっぱり良くないと痛感しました。
ホテル周辺からスタート地点に向かうバスの時刻(5:20)に合わせてチェックアウトしバスに乗り込もうとすると真っ暗な中、金髪の3区放送大学の付き添いの方が元気に話しかけてくれました。
早朝から元気やなぁ~
5.バス移動(宿舎→スタート地点)
1区は駒井が付き添いしてくれたので二人でバスに乗りました。
他のメンバーは周りが約10才年下の集団の中1人でバスに乗ってるんやなぁ~強者やな~って思いました。
付き添いは居てくれた方が心強いよ!
6.ウォーミングアップ、招集
1区のウォーミングアップは広場内でやるように指示されました。
3区、7区は中継所が山の中なのでアップするの大変そう。。。
ウォーミングアップ中に加古川東高校の大先輩である渋谷 俊浩さんから声を掛けられました。
どうやら今大会で加古川東高校出身のメンバーは4人いたそうです。
プログラムを確認すると阪大の大西くんと辻本くん、府大の室元くんが加古川東高校出身らしいです。
加古川東高校の陸上部は今も続いてるのか知りませんがOB会からNI○EのようなマークがプリントされたTシャツが年に1枚プレゼントされます。
このマークは台風の目になって欲しいという意味が込められていたと思います。
この三人が今後、台風の目になるような活躍をされることを楽しみにしてます!
話を元に戻します。
開会式で提出していた襷とゼッケンを1次招集で受け取り身につけました。 いよいよレインボー襷のお披露目です。
ちなみに放送大学の襷をレインボーにしようとアイデアを出したのは私です。 駅伝に力入れるつもりは無かったと言いつつレンイボーにしたのお前かよ!って言われそうですね。 レインボーには放送大学に誰でも入学出来ること、多様性を認めることの意味が込められており、去年記録審査で戦うことすらできず涙を流したので、今年は丹後で虹を架けよう!という意味も込められていたりユニフォームが空色なので襷はレインボーにしたい!と希望しました。 ただ、自分のデザインしたレインボー襷が作成されることはありませんでした。 あのデザインになった経緯や理由は忘れました。 せっかくなので私がデザインした襷のイメージを載せときます。
レインボー襷のお披露目とともに、初めて使うサングラスを着けても付き添いの駒井くんの反応は特になかったですね。インパクト弱かったのでしょうか?
二次招集がスタート10分前、スタート地点整列が5分前でした。
周りのメンバーはベンチコート着てて、そんなに寒いか?って思ったので自分はユニフォーム姿でスタートラインに立ちました。
スタート1分前にベンチコート等を脱ぐためにほぼ全員スタート地点から消えることで余計虹色の襷が目立ったようです。
この様子をYouTubeのライブ中継で観ていた2区のゆーやは上着を着ずに招集を受けてめっちゃ寒かったらしいです。
寒いならちゃんと上着を着ましょうね!!!
7.1区9.0km
スタート直前に「フライングはしないように!あと、ピストンが鳴らなくてもスタートはしてね!」っていう謎の注意事項があり、カウントダウンが始まり、3,2,1,(少しの間),ピストンの音でスタートしたのですが少しの間の時に同志社大学さんが動いたのでフライングのように見えましたが注意事項通りにスタートしたと思います。
他のメンバーはフライングになるのをビビってピストルが鳴ってからスタートしたと思いますが(笑)
スタートの勢いが速かったのに最初の曲がり角を曲がってペースダウンした感じがしました。
スローペースの場合、そのペースにはまってペースアップ出来ないリスク回避のために先頭に出ようとしたところで大阪体育大学さんが出てくれたが少し速いと感じてしまいついていけませんでした。
結局集団に吸収され1kmを3分09秒で通過し登り坂に入りました。
登り坂で足が止まり先頭から一気に最後尾まで落ちて、このまま区間22位になってしまうのではないかと焦りつつ2kmを6分30秒(3分20秒)で通過しました。
下りでもう一度集団に戻ることが出来て3kmを9秒23秒(2分53秒)で通過しました。
ここから坂を登り切った際に集団から離れないように、登り坂に入る手前では集団の前に出るようにするという作戦を取るようにしました。
自分が先頭に出る=坂道を上る(山に入る)手前になっていたと思うので電波が悪くなりYouTubeの動画がフリーズしていたのかもしれません。
6km手前までなんとか先頭から離れることなく粘って走れましたが、6kmあたりで集団が2つに分かれた際に前の集団についていけませんでした。
後ろの集団で粘り中継所がどんどん大きくなると、大阪経済大学さんとゆーやが並んでるのを見て何か変な感じやなぁ~って思いました。
僅差で大阪経済大学さんより先行して襷を繋いだつもりでしたが、区間順位負けてました。ホンマかな?
全力疾走でスタートしていく襷を持ったゆーやを見送って、そのペースで走って山登り出来るのか?って不安になりました。
10秒ほど前の集団に追い付くためにダッシュしたとゆーやから聞きました。
ラスト1km3分07秒だったのでもう少し出し切れたんじゃないなぁって思ったり思わなかったりしてます。
走り終わってからプログラムで確認したのですが、1区走者の10000m持ちタイムは自分が2番目だったみたいです。
あくまでプログラム作成時点でのランキングですが、区間2位や3位の可能性はゼロではなかったのかもしれません。
8.クールダウン
とは言いつつ、意外と筋肉はガチガチでダウンジョグも歩くようなスピードでしか出来なかったので、意外と出し切ったような気もします。
色々レースを頭の中で振り返ってると神戸大学の佐々木くんに話し掛けられました。第一印象は好青年ですね。
自分が4回生の時にお姉ちゃんが1回生だったそうです。
顔は似てるような似てないような。。。
「お姉ちゃんが放送大学関西に入るように勧めといてね!」って伝えるのを忘れてました。
このブログを見た神戸大学の方は是非お伝えください。
9.バス移動(第1中継所→天橋立)
バス出発5分前になっても誰も乗ってなくて運転手が「出発遅れてもいいの?」みたいなことを自分に聞いてきました。
知らんがな!って思いましたが、中継所に学連の方や大会運営者みたいな方は見当たりませんでした。
これって声かける人おらんの?セルフサービス??ってなって、とりあえず少し大きめの声で運転手に「そろそろバス乗ります!」って言ってバスに乗ると他のメンバーも自分の言動に気づいたのか動き出してくれました。
気づけば定刻にバスは出発してました。
日本人の「周囲に合わせることが多い」と「時間や約束をきっちり守る」いう習性が現れた瞬間だなぁ~って思いました。
10.車ピックアップ(天橋立→峰山)
1区の仕事は3:30に起床して走るだけではありませんでした。
天橋立でバスから降りたら大阪から我々が乗ってきた車をピックアップするために丹後鉄道で峰山に戻りました。
バス移動が伴う駅伝出場は今回で10回目でしたが着替えの他に自分の運転免許証、電車賃を次の走者に事前に渡してたのは今回が初めてでした。
観光客や地元の方々が乗ってる電車に1人ジャージで乗ると浮いてました。
11.車移動(峰山→天橋立)
5-7区の方々が隠した車の鍵を見つけて再び天橋立に向かいました。
なるべく駅伝による通行止めの道、通行止めによる渋滞の道を避けながら移動出来たと思います。
ちなみに今回の車はいつものキャラバンではなくセレナでした。
法人価格で24時間8800円はコスパ良かったです。
12.ミーティング
今回の駅伝後、チームでミーティングを行いました。
主な内容はレースの振り返りと今後のチームの目標でしたが、今後のチームの目標は特に決まらなかったと思います。
目標に応じてチームの役割も変更する可能性があることも話されました。
目標次第ですが個人的にこんな感じで変更して雰囲気変えても良さそうな気がします。
コーチ:岡本→中村
主将:村上→山口
副将:山口→藤本
主務:藤本→阿賀
駅伝主務:粟田→阿賀(兼務)or駒井
会計:阿賀→村上
13.今後の目標
今後の個人的な目標は5000mと10000mの自己ベスト更新です。
可能であれば放送大学関西に残りたいと思います。
社会人になって1人で練習してきましたが出場出来るレース数が減ったことで上手く走れませんでした。
そんな中、放送大学関西に入って1年以内に10000m30分台、1年半で5000m14分台まで戻せたのは自分でも驚きました。
学生に戻ることは最初抵抗がありましたが、今となっては学生やり直して良かったと思ってます。
ここでまた告白しますが、「自分は放送大学で勉強する気は一切ありません。陸上競技をするために放送大学に入学しました。」
箱根駅伝出場を目指すために関東の大学に入学する高校生がおるんやから、陸上競技をもう一度真剣に取り組むためだけに放送大学に入ることも許されると自分は考えてます。
もし目の前にくすぶってて、もう一度真剣に陸上競技をしたい市民ランナーや競技者がいたら自分は「放送大学に入学してみない?」って声を掛けると思います。
放送大学に2年間在学した場合のコストは約3万円です。
是非、一緒に放送大学関西で陸上競技しませんか?
次は2区です。
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