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丹後駅伝6区 白タスキ

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長距離ランナーに対してかけてはいけない言葉は何だろうか。


何で走っているの?

走っている時、何を考えているの?

走っていて何が楽しいの?

だろうか。


もうそんな会話をする必要はない。心の扉を開けるのか。特に、駆け出しの美容師が散髪している時、こんな質問はうんざりだ。


2005年春、私は地元を捨て東海地区の大学に進学した。周囲からは何故その大学に進学したのか問われた。強いて言えば全く縁もゆかりもない土地に身を置きたかったのかもしれないが、実際のところは指定校推薦のあいうえお順リストの最前列を選択しただけだ。


情報リテラシーの授業では、ド〇キで購入したであろうクロムハーツの偽物を纏い、チーズバーガーを食らうギャル男が印象的だった。


そこにオレンジデイズのようなキャンパスライフは無く、想像以上に大学生活は退屈であった。入学早々、ほとんど授業に行かなくなってしまったのだ。


はじめのアルバイトは雑貨屋の品出し、レジであった。21時のホタルノヒカリが流れる際、連なったシャッターを閉め、明らかに不倫関係であろう副店長と28歳パート女性を横目にママチャリを漕いで岐路に着く。サンクスを経由し、ペヤング特盛とリプトンミルクティー、チョコバットを数本購入し、ワンルームアパートでやりすぎコージーを鑑賞する。


怠惰な日々の始まりだ。


アルバイトはそれなりに経験した。例えばサークルKの店員、地元スーパー、特に某物流センター内の配送荷物の仕分けは過酷極まりない。私は複数ある搬送ラインの内、Dラインを担当した。主に冷凍アイテムを取り扱っていた。ゴム手袋越しであっても指先の感覚がなくなりそうだった。一方、建屋の空調は効いておらず、夏場は大量の汗を消費する。隙を見てトイレに逃げ込んだが、手洗い場に設置されている監視カメラと目が合う。


とある日、偶然、全日本大学駅伝を見たとき、高校時代の同期がフューチャーされていた。正直なんとも複雑な気分であったが、また走り始めるキッカケになったことは事実である。


はじめて5000Mで14分台を出したのは大学に入ってからである。今更出しても意味がない価値観を抱いた一方、記録を更新する楽しみを知った。しかし、それは一時的なもので、タイムを削り出すほどキリがなく、いつかしら自身にとってつまらないスポーツとなってしまった。


大学卒業後も会社のチームに所属し、競技は25歳くらいまで続いたが、辞める時もキッパリだった。やはり自身にとって陸上は天職ではない。


10年後、放送大学で大学駅伝を目指した点において美談とする意図は全くなかった。競技力が伸長しなくとも走った後は爽快であり、おっさんランナーが口を揃えて言うようにビールと飯がうまい。


本戦でレインボーのタスキを貰うことなく、渡すことなく丹後駅伝を走り終え、私は部を去ることに決めた(3月までは何かしらレースに出たいと思う)。


最後にチームメンバー、関係者の方々に御礼申し上げます。

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