駅伝主務から頂いたお題について、冒頭から言わせてほしい。私の人生はロールモデルではない。最近お気に入りの言葉は「オワコン」「Fラン」「ヨタヨタのジャンキー」である。現在、JPX日経400に出入りする企業の総合職として働き、白目をむきながら住宅ローンを返済している自分は、当時20年前の自分からするとヘドが出るほど格好が悪い生き方であり、客観的に見ても滑稽であろう。
私は関西の片田舎で生まれた。地元の公立中学はそれなりに荒れていた。授業中、隣の地区の中学生が複数名で原付に乗って現れ、片手に奇妙なスティックを持って威嚇している姿を思い出した。北斗の拳の雑魚キャラを彷彿させる。常に窓から外を眺め、早くこの街を出たくて仕方なかった。(その15年後、地球の裏側まで行き過ぎた話は機会があればブログに書き綴りたい)
唯一、走る事が得意であり、陸上中長距離で県大会で入賞できるレベルまで上達した。高校への進学は当時地元の強豪校へスポーツ推薦にて進学した。(人生オワコン1)
主に県内のトップレベルの選手が集まるため、当然であるが駅伝メンバー争いは熾烈であり、シーズン中のポイント練習は常に緊張が走る。練習後の全体ミーティング、とあるサプリメントを売り込みに来た営業担当者が自社商品を紹介しつつ、選手に対してトレーニング中に摂取しているサプリメントを問う際、ライフガートと即答。今思えばアメリカンスピリッツと比べたら可愛らしものだ。
高校三年時、身体がある程度出来上がり、チームの主力として公式戦に出るようになった矢先、大きな故障をしてしまい結果として最終学年を棒に振ってしまった。近畿インターハイはメイン種目である1500m、5000mではない種目を自身で選択した事は真の意味で敗北かもしれない。打算を積み重ねるくだらない社会人になってから気づいた。団体種目である高校駅伝は3年連続県大会2位。母校は毎年、12月中旬に沖縄修学旅行の旅程を組んでおり、都大路を決めた学年は修学旅行に参加できない。参加できないことが優越なのである。沖縄の公道を走るバスの車窓から見える景色は記憶にナシ。ライフガードを給水にインターバルを重ねるほうがマシ。
とある日、現〇MO監督が実家を訪れた。どうやら4年計画で新興チームを箱根駅伝に出場させるらしい。私は数週間熟考した上で、関東への道を断念した。それどころか高校で競技生活を終える選択をしたのだ。そのチームは4年後、「風が強く吹いている」のモデルチームとなった。一方、私は陸上競技とは縁を切り、東海地方の大学へ進学した。(人生オワコン2)
当時、大学駅伝より繁華街のキャッチの兄ちゃんの仕事の方が興味があったことは否定しない。
青春時代編おわり(つづかない)
*写真のテーマは「ヨタヨタの大学生」
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