捨てることが苦手だ。
オフィスの引き出しには、いつも不要な書類が山積み。
デスクトップもいよいよやばいと思ってとりあえずフォルダを1つ作って全部ぶち込んで整理した気になっている。
これは日常生活でも同様で、飲み切らなかった薬、粗品でもらったボールペン、数年前のマラソンのタオル、だいたい残ってる。
しかし、捨てれない性質は自分自身の人生にとってマイナスだと思う。
当たり前であるが、人生は取捨選択の連続である。
当然、自分も様々な選択肢を捨ててきた。
高校選びの際、中学の同期と都大路を目指す人生を捨てた。
大学選びの際、箱根駅伝を走る人生を捨て、競技から足を洗う道を選んだ。
大学1年生の夏、特にやりたいことも見つからず、走り続ける道を選んだ。
大学4年生の夏、新卒カードを捨てる道を選び、
その1年後には前年選んだ道を捨てていた。
誰もが通りうる道を通ってきただけやけど、その瞬間の判断は自分しかできない。
でも、人に答えを聞きたくなる。俺だってそう。
敷かれたレールの上を走るのはどれだけ楽なことかとすら思う。
…でも違う、敷かれたレールの上を走ることは大変。
いつ脱線しないか、コースアウトしないか、びくびくしながら走り続けないといけない。
そう、人生は無理ゲーなのだ。
少し視点を変えて、人生のゴールとは何なのか。
それなりに有名な企業に入って、25くらいまではそれなりに遊んで痛い目もあって、
30手前で結婚して子供を2~3人育てて、家を買ってローンを組んで、
ひいひい言いながらも身を粉にして働いて、趣味なんてなくて、
自身の背中を見た子供が立派に育って、
定年退職した後は趣味のゴルフや旅行・英会話なんかはじめちゃって…
誰もが憧れる「ロールモデル」の一例ではあるが、本当にこれが幸せなのか。
独り身の方がいいかもしれない。
家なんてなくても、賃貸で十分かもしれない。
金も家族もなくても趣味が大切かもしれない。
そう、人生には答えがない。
ゴールすら自分で決めなければならない。なんて難易度の高いゲームなのか。
やはり、人生は、無理ゲーなのだ。
では、そんな人生をどうすればいいのか。
結局、「捨てる」ことに尽きるのではないかというところに行きついた。
「諦める」という表現の方が合っているかもしれない。人生は「諦め」の連続。
私は、「諦める」ことが悪いことなんて思わない。
成果が出るまでやり続けることも大事だが、
出せなさそうならスパッとあきらめて他を見据えることも大事だ。
ある意味それは合理的な選択でもある。
できないことに気づくことで、できることが見つかる可能性が上がる。
「諦め」たくてもやりきらないといけないこともある。
そんなときは、人の手を借りると楽だ。
私は仕事でも得意なことと苦手なことがはっきりしているので、
このことに気づけて随分仕事の進め方が変わったと思う。
しかし、人生の難易度をまた高くしているのが、
人は往々にして「諦めた」ことに気づかない。
大学最終学年で、それまでの自己ベストを大量に更新し、一応関西で3番になった。
そのまま引退したときは何も思わなかったが、例えば留年でもして
もう1年陸上続けたら関カレ優勝できたんちゃうかと(そう助言する同期もいた)。
あるいは、24歳で今の嫁と同棲を始めた私は「女子大生と付き合う社会人」にはなれなくなった。
留年せずに就職、同棲が決して間違っていたとは思えないが、
気づいたときには、逃した魚は大きいものである。
じゃあどうしたらいいのか。
結局、
・失った選択肢を悔いない
・決めた選択肢を無理にでも正解にする
・それでもだめだと思うならまた選びなおす
を繰り返すしかない。
捨てるのが苦手な自分だけど、ふとそんなことを考えていた。
さて、私は仕事に疲れると練習に行く気が起こりません。
なので、毎日練習することは「諦め」、他の方法でチームの底上げをしていきたいと思います。
――キャプテンを31分台へ。
続く。
※嘘です、在学中に必ず31分40秒出します。
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