4区を走りました、副将の山口です。丹後駅伝が終わってしまいました。今年はこのブログを、区間順ではなく「11月中に各自振り返り乗せてね」ということにしました。それとなくみんなが空気を読んで1~2日に1本くらい誰かが更新してくれるのか、月末の締切り直前にまとめて5,6本更新されるのか、はたまた月末まで更新しない者がいるのか…そんな私たちの姿から、日々仕事や家庭のタスクに追われる私たちの様子を想像してもらえればと思います。そんな僕が今回早めに仕掛けたのは、何事も1番がいいから!というわけではなく、週末に里帰り中の妻と娘が家に帰ってくるため、今から部屋の全力掃除に追われるのが理由です。走ってる場合じゃない。
ということで、個人のレース結果です。
・4区(9.8km) 31分25秒 区間7位
3'01"-3'12"-3'15"-3'21"-3'20"(0.96km)
3'06"-3'14"-3'25"-2'30"(0.79km)-3'00"-2"(端数)
・前半5km 16'07"7(3'13"5/km)
・後半4.8km 15'16"4(3'10"9/km)
無事、年初から掲げてきた「昨年を越える」(=区間14位以内)という目標を達成することができました。また、密かに狙っていた区間1桁順位も、あんまり獲れるとも思っていなかったので、素直にうれしいです。ただ、裏目標(といいつつTwitterでは公言した)の「主将に襷を繋がせる」は達成できませんでした。
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あちゃー。
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≪レース振り返り≫
前日、世間は華の金曜日。会場到着、マイクチェックワンツー、調子はどうよ、ブラックアンドイエロー、、なんて口ずさみながら、開会式の会場に向かうでもなく、まずは前日21時に仕上げた書類を峰山から大阪・豊中に郵送しました。月曜日必着だったのですが、書類が仕上がった頃には郵便局が閉まっており、当日も8時台の出発だったので、こうするしかありませんでした。そもそもどうしてこんなに取りかかるのが遅いのか、自分でもわかりません。
開会式では、この時間まで仕事に従事していた者が数名と、なぜか用意がはかどらず間に合わなかった者もおり、図らずもソーシャルディスタンスを保つこととなりました。22校中唯一、3つの密を避けることができたかと思います。ネタが古い。
余談ですが、会場近くに労基があり、最賃の掲示があるのですが、当時大阪(の片田舎)でコンビニ店員をしていた私は毎年「京都低いな。ドンマイ。」と思っていたことを思い出しました。当時の僕の賃金は790円~でした。VIVA★賃金上昇!
その後、宿舎へ向かうバスに乗り込みました。私が宿泊した「民宿福田」さんの夕食はとにかく最高でした。
しかし、同部屋のキャプテンは、転職して間もないため有給休暇を付与されておらず、夕食に間に合いませんでしたので、20歳前後の学生20人ほどに囲まれながら2人分の料理を黙って食べる28歳おじさんの図ができあがりました。この光景を家族が見たらどう思うのでしょうか。卑しい…
食事後は各自部屋に戻り、各々が翌朝9時からのレース(5時からの朝食)に備えて準備をすることになります。隣の部屋は20時頃に消灯していましたが、明日朝練で3時台に起きるとかいってた女子学生の声は22時くらいまで聞こえていました。若いっていいな、元気だな。その頃、おじさんは、キャプテンの到着を待ちながら、家族アルバム「みてね」で娘の成長を感じるなどしていました。
当日は、宿舎→中継所が徒歩圏内と大変恵まれた環境でしたので、バス移動組が7時頃から待機しているなか、悠々と7時40分くらいに到着しました。「どうだ、皆寒かっただろう。おじさんはさっきまで暖かい部屋で快適に過ごしていたんだぞ(どや顔)」というテンションで向かいましたが、気象条件がよく、そんなに寒くなかったどころか既に21校がテントで場所取りを済ませており、後からきた私は肩身の狭い思いをしました。
正直、19~20位くらいでの中継と想定していたので、自分の区間で2~3人抜いて16~17位くらいになるかな、という気楽な気持ちで臨んでいました。結局当日までに試走もしなかったどころか、コース動画も1度適当に見ただけでした。しかし、私はこの場にいる学部生が義務教育を受けていた頃に、1度この区間を走ったことがありますので、コースの特性はお前らよりわかってるんだぞ、といわんばかりの表情でアップしました。私が圧倒的経験値をひっさげここに挑んでいることには、多分誰も気づいてないでしょう。
そしてレース、順位はまさかの最下位スタートでしたが、前が見える位置での襷リレーでしたので、本当に助かりました。3区を走った駒井はエースが出場できなくなったことによる急遽の出場となりましたが、よくまとめてくれたと思います。思えば11年前、私が1区駒井が2区という立場で襷リレーをしたことがあります。あのときの駒井は駅伝が好きで、ひたすら長距離練習をしていましたが、800mのタイムだけめきめき向上していきました。いちいち古くさい思い出出すなよな。
レースは「途中のラップを確認しない」「抜き際に後ろ振り返らない」の2点集中で、5km通過以外一切時計を見ませんでしたが、前半だいぶ押さえたことと、日本海の疾風が思ったより弱かったので、想像以上に楽でした。ただ、仕掛けどころとか勾配の加減とか、特にコース後半は景色以外全く覚えてなかったので、圧倒的経験値はさほど役に立ちませんでした。5人抜きは気持ちよかったです。前置きの割に振り返りが短い気もしますが、以上です。
ゴール後は、YouTubeでキャプテンが襷をつなげなかったシーンを確認し、絶望しました。彼は襷を繋ぐまで、5区に挑み続けることでしょう。宮津に戻ってきて秦の力走を見送り、私たちの2022年の挑戦は幕を閉じました。
トップバッターなので、少し全体結果にも触れますが、チームとしては【21位】。昨年より2つ順位を落とし、力不足を感じる結果になりました。エースが諸用により出場できなかったとはいえ、個人的には正直17~18位はいけると思っていたので、手放しに完走できてよかったとはいえません。でも、とにかく2年連続チームとしての結果を残せたことはよかったかな、とも思います。どっちやねん。詳細はキャプテンに託そう(キラーパス)。
レース後は、ゲストハウスを借りていましたので、間人(たいざ)がにと、藤本の「いい機会として陸上をやっている。走った後に飲むハイボールが1番美味しい」という言葉をアテに、たくさんのお酒を飲みました。そんな今年のベストバウトは14分37秒~
そして、家庭の進捗を生み出すべく、皆が爆睡するゲストハウスを夜な夜な発ち、1人さみしく始発列車に乗って帰りましたとさ。
末筆になりましたが、本大会出場にあたり、選手、サポートの皆は元より、ご支援いただいた方、応援いただいた皆様、並びに主催の関西学連をはじめとした審判・関係者・地域の皆様などご尽力いただいた皆様に、この場をお借りして感謝申し上げます。
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